2008年5月25日日曜日

コメントを残せなかった理由。

山崎先生のブログ「魂の一手で勝負!」が最終回を迎えてから3ヶ月が過ぎました。

ブログを始められると聞いたとき、多くのファンが喜んだと思います。
私も嬉しくないわけではなかったのですが、ちょっとフクザツでした。

対局で結果を出して、雑誌や新聞にたくさん載るようになって、そこでやっと日常や考えていらっしゃることが伝わってくる・・・それくらいがちょうどいいような気がしていました。

もちろんブログや著作で注目される棋士もたくさんいらっしゃって、それはそれで楽しませていただいていて有難いことなのですが・・・。 山崎先生は対局一本で勝負!できる棋士だと思っていますし、そうであってほしい。

そんなことを考えて、結局一度もコメントを残せないまま最終回。いつものように飾らない文章で率直に真情を吐露するところにお人柄が表れていました。淋しいけれど、行間から並々ならぬ決意を感じて、これは新たなスタートなんだな、と思いました。

来月は順位戦開幕。楽しみにしております

2008年5月11日日曜日

初書き込みの頃。

師匠がブログで紹介してくださったので、ドン!とアクセス数が増えました。
順位戦で昇級を決めた時よりも多い数字です。
アクセス数はみずものと思っていますが、やっぱり嬉しいですね。

あとはやっぱり書き込みがほしい~(切実)
どうもシャイな方がものすごく多いようで、たこやきさんの書き込みについて、管理人宛に嬉しいねメールは来ているのですが、掲示板の反応は薄い・・・でも勇気を振り絞らないと書き込みできなかった頃の記憶もかすかに残っているので、ROMの方の気持ちもわからない訳ではありません。

私の初書き込みは2004年11月5日。
前管理人さんが運営されて3年目くらいのころでした。もうログは残っていませんが、2度目の新人王になられた翌朝だったのを覚えています。優勝のニュースをネット上で見つけた時、まだ「おめでとう」カキコが入っていなかったので思い切って一番乗りをしました。あの時優勝していなかったら、すでに誰かが「おめでとう」と書いていたら、書き込みしなかったかもしれません。何がきっかけになるかわからないものです。

その日からもう3年半。応援をしていることでいろいろなつながりが出来て、私の世界が広がりました。ネットがあったから、前の管理人さんがHPを開設して下さっていたからこそのご縁です。
ネットの恩はネットで返したい。
棋力もないのに無謀にも管理人を引き受けたのにはそんな気持ちがありました。


山崎先生が掲示板を読んでいらっしゃるみたいだなあ、とは以前から感じていたのですが、なかなか「ご覧になっていますか」とは聞けず(管理人もシャイなので)、「よく見ています」とおっしゃってくださったのは、実は先日の祝賀会が初めてでした。その日から1週間で書き込みしてくださるとは。時代は動いています。

ファンと山崎先生をつなぐ架け橋になれるかなっ。
管理人まだまだ力不足です。皆さまどうかお力を。よろしくお願いします

2008年5月5日月曜日

一門祝賀会2008 後編

いよいよ開宴。師匠に促されて舞台袖へ。同じく贈呈役のYさん、Mさんとおしゃべりをしていると、司会役の林家竹丸さんが「しいのみさん・・・」とつぶやく。

えっ!HNで紹介されるのは恥ずかしすぎます!

本名で紹介していただいたけれど、2次会3次会で初対面の方に「管理人やってます~」と自分からべらべらしゃべってしまったので、最初からHNでよかったかも・・・

花束代表で一言という役回りだったとは知らず、自分が考えていたのとは微妙に違う展開の中で、マイクを持ってぐだぐだ一言しゃべり壇を下りる。

増田先生の挨拶、ドクター尼子さんの乾杯の挨拶でぱっと場の空気が盛り上がる。しょっちゅう大勢の前で話していらっしゃるのかと思いきや、小学生の時以来とのことで、緊張のあまり昼は何も食べられなかったとのこと。

大役を無事務められた尼子さん、Mさんとしゃべっていると山崎先生がご挨拶に来てくださった。私の着物に目を留めて「とても綺麗です」と言ってくださる。ああ、もう死んでもいいかも。あやうく勘違いしそうになるが、綺麗なのはあくまでもき・も・の。わかってますから大丈夫です。

竹丸さんの南京玉すだれ、淡路先生、谷川先生の祝辞、一門の紹介・片上五段、大石三段による代表挨拶、主賓のお礼の言葉・・・と例年以上に盛りだくさんで、それぞれの想いを感じるメッセージがとっても良い。

ずっとテーブルを回られていた山崎先生が席にもどってきたので、尼子さんとお祝いをお渡しがてら写真を撮らせていただいていると、席上対局の時間に。すみません・・・お食事する時間を奪ってしまいました。

稲葉四段との席上対局は、解説の井上八段「なんか10級の子どもがやるような囲いですな」から見事に手をつくり勝利されました。

次は糸谷四段VS澤田三段の解説。指し手が早く稲葉四段、大盤の駒を動かすのに大童です!いっしょに楽しそうに解説されていました。

続いて抽選会。注目の山崎七段アルバムは抽選対象が女性・子ども限定になりました。
私はくじ運悪い方なので、最初からどうせ・・・とあきらめています。でも幸いMさんのお子さんにあたり、嬉しいことに「HPに載せたら」と貸してくださいました。今日明日中にはなんらかの形でご紹介します!

終了後、2次会3次会とお邪魔しました。なかなか自分から言えない管理人に代わって、尼子さんが口火を切ってくださり山崎先生にプッシュプッシュ! 
尼「ブログ、もうやらないんですか?」
山「あんまり更新しないんで、もう止めよう、ってことで・・」
尼「じゃ、HPに何か」
山「いやあ不定期じゃ悪いし」
私「一年に一回でもいいです。ファックスしてくだされば打ちます!」
山「じゃあ、何か」
という訳で、お約束が出来ました。
まあ、気長にお待ち下さい。

山崎先生は翌日の予定のため2次会で帰られました。

当人のいない3次会で師匠が、あの師匠がですよ、山崎先生を褒めます褒めます!
前は「あれの何処がいいんだ?」「なんで応援するのかわからない」「山崎くんはいいから○○や○○をよろしく」って感じだったんですが。

とっても嬉しかった。夫をあまり買っていなかった父が、ぽつりと「あの人は頭がいいなあ・・・」って呟いたとき以上に嬉しかったです。

そんなこんなで出したお金よりもお釣りが多かった気分で帰ってまいりました。

また来年もお祝いできますように。応援頑張ります。

一門祝賀会2008 前編

祝賀会当日。午前、前から行きたかった神戸の長田スター街道に出かける。

阪神大震災で壊滅的な被害を受けた商店街と人々を励ますためにたくさんの著名人がこんな風に手形とサインを送っている。

自身も被災した山崎先生が贈られた言葉は「あきらめない」。ぐぐぐっと噛み締めた。



大阪に戻り、ホテル阪神のエレベーターに乗ったら師匠の森先生にバッタリ。花束と一言を頼まれる。花束は去年もお渡ししているので遠慮しようかと思っていたが、忙しそうな師匠を見ているとサクッと引き受けた方が手間が省けそうで、「いいんですかあ」とお受けしてしまう。

泊まっている部屋で顔のメンテナンスをしているうちに記念指導対局の受付時間が過ぎた。階下へ下りていくと応援HPの常連?相方?のドクター尼子さんもちょうど着いたところだった。昨年の広島以来だがが、ネット上でしょっちゅう会っているので感覚的には1週間ぶりくらいの感じ。

指導対局は奨励会員の先生ならすぐ受けられます、とのことなのでくじを引かずにまず一局。ぼーっとしていたら王手飛車をくらい、いいところなく退散。

しおしおと部屋に戻り着物の用意をする。まず髪にムースを大量に付けて夜会巻き。着物はリサイクル着物なのだが最初の持ち主はそうとう大柄だったようで、幅が余る。下前を折り返さないと合わないのだが、今回は珍しく一発で決まった。指導対局の反省の気持ちを込めてひもをぎゅぎゅっと締める。帯は最初ゆるく巻いてしまってやり直し。次はお太鼓が大きすぎてやり直し。

なんとか1時間で着替えが終わり、懲りずに指導対局を受けに行く。
私の繰り出す冴えない手にボソリと呟く稲葉四段。「・・・イマイチ」
最終盤、ああ、わかんないわかんない。両手を使わないと足し算が出来ない小学生が、7足す8でめちゃくちゃ悩んでいるような按配である。「これはダメだろうなあ」と思いながら指した一手・・・稲葉四段の顔に「くわあ、そこでそう指すかー」と書いてある。そんなこんなで、なんとか勝たせてあげようという思いやりに溢れた指導対局は終わった。
稲葉四段の揮毫「斟酌」わたしは一発で読めました。うんうん、いい言葉だ。

おしゃべりをしているうちに開場時間。今年の出席はどのくらいなんだろう。抽選会の倍率に関わるので重要な問題である。テーブルの数を数えて、おお、昨年よりは可能性あるかも、おや、あのテーブルの上にあるのは抽選プレゼントの品じゃないか、どれどれと盛り上がっているうちに開宴時間となった。
(後編に続く)