2008年12月26日金曜日

王座戦観戦記こっそり宣伝

12月5日対局の内藤九段戦観戦記が、年明けの日経新聞夕刊に掲載されます。

その件で観戦記者の小暮克洋さんからメール取材を受けました。

将棋界のありかたについて等私にとって答えに窮するものもあり、エンピツをなめなめ(あくまでももののたとえです)なんとか回答しました。

中でも一番しびれた質問は・・・

「ホームページ運営にはかなりのエネルギーが必要かと思いますが、山崎さんはその労苦に耐えうる人物でしょうか?(笑)」

いやあ、これには参りましたよ、小暮さん!
(いきなり馴れ馴れしいぞ)

私がなんとお答えしたかは・・・ヒ・ミ・ツ!

2008年11月25日火曜日

将棋日和2008

「山崎先生が出てないイベントでも行くことがあるんですか」って言われそうですが、まあたまには。

11月24日開催「第2回将棋日和」に行ってまいりました。
帰る道すがら顔を合わせたばかりの人とも「いや楽しかったですねー」と和やかにお話できてしまう、それほど良い雰囲気の会でした☆
                @@@
将棋会館4階でエレベーターを降りると、受付は金井四段&田中四段。
そのままホテルのフロントマンになれそうなほどピッタリ☆

最初のプログラム出演棋士紹介。
佐藤紳哉六段作成のプロフィール紹介(直筆コピー☆)に沿って進められましたが、これが学生サークルの部員紹介みたいなノリで私のツボ直撃。読みながら肩がひくひく。もったいなくて裏紙をメモ用紙に出来ません(笑) 
各棋士の「自分を駒に喩えたら?」の色紙は、村中四段「飛車」金井四段「銀将」田中四段「歩」佐藤慎一四段「歩」鈴木環那女流初段「成香」井道女流一級「桂ときどき馬」佐藤紳哉六段「桂」でした。
また紅組W佐藤&鈴木、白組村中・田中・金井・井道の2チームに分かれて各プログラムの得点を競うという趣向も発表され、勝ったチームには藤井九段からプレゼントがありますとのこと。これは張り切らざるを得ませんね。
ここで登場したスペシャルゲスト藤井九段の色紙は「創志」「涓滴」「我自我自」の3枚。駒色紙も藤井九段色紙もすべて抽選会の景品になりました。

次は講座希望者・指導対局希望者、それぞれの部屋に分かれてお勉強タイム☆
私は指導対局で銀沙の間に潜入しました。両方取りを受けずに金を打った手を「羽生さんでもこう指します」と村中先生が褒めてくださいました。そうなんです。女性は褒めないとだめなんです。普及のツボを心得ていらっしゃる☆

続いての席上対局は目隠し王手将棋2局。
佐藤紳哉六段(紅)VS村中四段(白)は目隠し将棋らしい(?)将棋。
佐藤慎一四段(紅)VS田中四段(白)は普通の将棋っぽい将棋。
王手をかけられたら即負けのこの戦い、両方とも白組勝利でした。

ティータイムをはさんで記憶力クイズ対決。藤井九段がお茶目で素敵でした。

女流の席上対局は、後手の居飛車党鈴木女流初段(紅)が「藤井システムで行きます!」と宣言。井道女流一級は居飛車穴熊でした。
解説は藤井九段&佐藤紳六段です。本家が初心者にもわかるように藤井システムについて説明してくださいました。
「家だけ作って囲わない。守るはずの囲いが武器になる」
すかさず佐藤六段「家だけ買って住む相手がいないみたいな」。
笑っている間にどんどん手が進みました。
棋譜をとったのですが途中から解説に聞きほれて抜けてしまいました。すみません。先手の方が良さそうに見えた局面もありましたが、最後は鈴木女流初段の勝利。紅組に貴重な点が入りました。

前回好評だったという将棋大喜利。どこかのケータイから笑点の着メロが流れます。うむむむ…芸が細かい。
謎かけで
井道「藤井先生とかけて料理人ととく」
藤井「その心は」
井道「両方ともサバキが上手い」
藤井「座布団5枚!!!」
これが決め手となって、白組快勝でした。



白組への藤井先生のプレゼントはなんと藤井先生ご子息作の駒形メダル!!!
いいですね~。


最後の抽選会では羽生先生の色紙と同じくらい、いやそれ以上に?藤井先生の色紙が人気でした。今回はくじ運の良くない私にも珍しく☆いいもの☆が当たりました。そのうち女流ファンの人に見せびらかそうっと。ふっふっふっ。

次はまた来年春頃に企画します、とのこと。
「手際が悪くてすみません」としきり恐縮されていましたが、これくらいは許容範囲・ノープロブレムだと思います。

「とにかく楽しんで帰ってほしい」という気持ちが伝わってくる素敵なイベントでした。

2008年11月8日土曜日

「矢内さんをあきらめます」その後

私は最初からネタだと思っていたのですが、必要以上に盛り上がってしまったのは将棋界に明るい話題が少ないからでしょうね。
関係者との打ち上げ等でいまだによく聞かれるそうです。
「ネタがないからみんなそういうことを聞く」とぼやいていました。

山「あれが(告白したという)事実になってしまったから。もう矢内さんに合わせる顔がないです。関係の人も気を遣ってるみたいで、いっしょの仕事はもう1,2年くらいないんですよ」

しいのみ「矢内さんは『私は待ってるんですけどね』っておっしゃったらしいですよ」

山「いやもう貫禄が違いすぎて。矢内さんにいただいた仕事(ブログ)も潰してしまったし。顔合わせられないです」

「事実になってしまったから」と真顔で繰り返されていたのが面白かったです。

2008年11月5日水曜日

レディース神戸2008

将棋教室に参加いたしました。
イベント全体の様子はわかりませんので、豆情報を羅列します。

■レディース神戸 初心者教室
以前5×5マスの将棋が登場しましたが、今回は新たに「歩なし将棋」が登場。午後は希望者で「歩なし将棋大会」がありました。
私は「歩がないなんて、そんなオソロシイ将棋は・・・」と拒否。ひたすら指導対局を受けておりました。

「今年で最後。他の若手に譲りたい」と神戸新聞社の方に山崎先生はおっしゃったそうですが、来年サポートで来られる可能性も残っているようです。

■山本邸
山本真也五段宅には、いつもカレーとおでんが常備されているそうです。コーヒーも美味しいそうで、時々お邪魔しているとか。

■健康増進
今年は4年ぶり!!に健康診断を受けるそうです。テニスやサッカーも再開して、健康増進に努める方向。1年のうちどこも調子が悪くないのは数日だそうで、それは逆転していただかないといけませんね。

■幻の明石タワー
将棋教室終了後、愛に満ちている(?)メンバーでお茶。話題豊富な山崎先生を囲んで帰り道でもおしゃべりがはずみ、神戸から逆方向の電車に乗ってしまったのに誰も気づきませんでした。

気がついたら明石・・・。

明石駅のホームからオレンジ色の光が見えました。

山「あれが明石タワーですね」
ファン「ほー」
山「いや、パチンコ屋の看板かもしれないけど」
ファン「・・・(絶句) あの、明石タワーってホントにあるんですか?」
山「ないかもしれない」

山崎先生・・・面白すぎます!

2008年9月25日木曜日

山崎先生がカツラを

使うようになっても管理人の座に居座る、と宣言してしまいました。

山崎先生、加齢をネタにした自虐もよくされます。

「もう年です。髪も薄くなってきたし」(将棋世界2003年10月号)
22歳の青年にこんなこと言われては。

「最近頬がたるんできたからガム噛んでたら、先輩棋士に怒られた」(2006年4月しいのみと雑談中)
「怒られやすいキャラなんじゃないですかあ」と返してしまった私は失礼なヤツ。

「結婚まではカツラでごまかす」(2008年9月しいのみと雑談中)
別にすでにカツラだとか結婚の予定があるとか、そういう話ではありません。

ファンのイメージをぶち壊しにかかる発言の数々は、山崎先生ならではです。
なかなか挑戦的だなっ。

2008年9月23日火曜日

リニューアル計画

リニューアルします。サイト名募集します。

と宣言してしまいました。

きっかけは国会図書館HP
書籍検索でしか使ったことがなかったのですが、あちこちクリックしてみると実に奥が深い。

図書館HP界の革命児?横芝光町立図書館とかgood site2004に選ばれている芦屋市立図書館のような、トップページ重量級が好まれる今日この頃ですが、これから老眼が気になる世代に差し掛かっている管理人としてはNG.

パッと見シンプルで奥が深い。これをやってみたいと思っています。

ゲストブックはスパム対策で迷走しましたが、今の形で様子を見ながら続けていこうと思います。RSS機能があって、デザイン的に許せて、アクセスログとエラーログを見れるところが管理人としては気に入っています・・・。

リンク集はぐちゃぐちゃなので、整理しないとね。更新されてないところは切るつもりです。

サイト名ですが、最終的にはご本人に会ったときでもちょこっと相談して決めようかと。また自虐されるかもしれませんが(^^);

あとはデータベース化! 
管理人は典型的文系人間なので、技術面のサポートは将棋ファンでも山崎ファンでもない夫がやっています。

場面その1
升田幸三年代記の素晴らしさに感嘆する妻。
妻「ねね、こういうの出来る?」
夫「出来る。でもめんどくさい。プログラム書くのが」
妻「今年中でいいからさあ」(手を合わせる)
夫「じゃ、ここをこうしてオープンオフィスにとりあえず入れといて」
妻「了解!」

場面その2
玲瓏の素晴らしさに感嘆する妻。
妻「ねね、PHPってわかる」
夫「わかる」
妻「ニヤリ」
夫「しまった~!」

そんなこんなでリニューアル完了はまだまだ先のことになりそうです。
気長に気長に見守ってやってください。

2008年7月8日火曜日

名前をつけてやる

玲瓏」とか「光より速く」とか「羽生無双流」とか「鰻屋本舗」とか。
素敵な名前をつけていらっしゃるサイトがうらやましく感じられます。

ウチでもなにか付けたいなあと思い立ちました。

「王子」とか「若様」は10年経ったら微妙だと思うので(それまで管理人やってるのか?)止めておいたほうが良さそうです。

揮毫から取るのはどうでしょうか。
「独往」「昇雲」あたりはいいかもしれません。

でも一番ナイスだと思っているのは・・・

トップページと合わないけれど・・・

女性ファンが泣くかもしれないけど・・・












・・・・・「たこやき本舗」・・・・・

2008年5月25日日曜日

コメントを残せなかった理由。

山崎先生のブログ「魂の一手で勝負!」が最終回を迎えてから3ヶ月が過ぎました。

ブログを始められると聞いたとき、多くのファンが喜んだと思います。
私も嬉しくないわけではなかったのですが、ちょっとフクザツでした。

対局で結果を出して、雑誌や新聞にたくさん載るようになって、そこでやっと日常や考えていらっしゃることが伝わってくる・・・それくらいがちょうどいいような気がしていました。

もちろんブログや著作で注目される棋士もたくさんいらっしゃって、それはそれで楽しませていただいていて有難いことなのですが・・・。 山崎先生は対局一本で勝負!できる棋士だと思っていますし、そうであってほしい。

そんなことを考えて、結局一度もコメントを残せないまま最終回。いつものように飾らない文章で率直に真情を吐露するところにお人柄が表れていました。淋しいけれど、行間から並々ならぬ決意を感じて、これは新たなスタートなんだな、と思いました。

来月は順位戦開幕。楽しみにしております

2008年5月11日日曜日

初書き込みの頃。

師匠がブログで紹介してくださったので、ドン!とアクセス数が増えました。
順位戦で昇級を決めた時よりも多い数字です。
アクセス数はみずものと思っていますが、やっぱり嬉しいですね。

あとはやっぱり書き込みがほしい~(切実)
どうもシャイな方がものすごく多いようで、たこやきさんの書き込みについて、管理人宛に嬉しいねメールは来ているのですが、掲示板の反応は薄い・・・でも勇気を振り絞らないと書き込みできなかった頃の記憶もかすかに残っているので、ROMの方の気持ちもわからない訳ではありません。

私の初書き込みは2004年11月5日。
前管理人さんが運営されて3年目くらいのころでした。もうログは残っていませんが、2度目の新人王になられた翌朝だったのを覚えています。優勝のニュースをネット上で見つけた時、まだ「おめでとう」カキコが入っていなかったので思い切って一番乗りをしました。あの時優勝していなかったら、すでに誰かが「おめでとう」と書いていたら、書き込みしなかったかもしれません。何がきっかけになるかわからないものです。

その日からもう3年半。応援をしていることでいろいろなつながりが出来て、私の世界が広がりました。ネットがあったから、前の管理人さんがHPを開設して下さっていたからこそのご縁です。
ネットの恩はネットで返したい。
棋力もないのに無謀にも管理人を引き受けたのにはそんな気持ちがありました。


山崎先生が掲示板を読んでいらっしゃるみたいだなあ、とは以前から感じていたのですが、なかなか「ご覧になっていますか」とは聞けず(管理人もシャイなので)、「よく見ています」とおっしゃってくださったのは、実は先日の祝賀会が初めてでした。その日から1週間で書き込みしてくださるとは。時代は動いています。

ファンと山崎先生をつなぐ架け橋になれるかなっ。
管理人まだまだ力不足です。皆さまどうかお力を。よろしくお願いします

2008年5月5日月曜日

一門祝賀会2008 後編

いよいよ開宴。師匠に促されて舞台袖へ。同じく贈呈役のYさん、Mさんとおしゃべりをしていると、司会役の林家竹丸さんが「しいのみさん・・・」とつぶやく。

えっ!HNで紹介されるのは恥ずかしすぎます!

本名で紹介していただいたけれど、2次会3次会で初対面の方に「管理人やってます~」と自分からべらべらしゃべってしまったので、最初からHNでよかったかも・・・

花束代表で一言という役回りだったとは知らず、自分が考えていたのとは微妙に違う展開の中で、マイクを持ってぐだぐだ一言しゃべり壇を下りる。

増田先生の挨拶、ドクター尼子さんの乾杯の挨拶でぱっと場の空気が盛り上がる。しょっちゅう大勢の前で話していらっしゃるのかと思いきや、小学生の時以来とのことで、緊張のあまり昼は何も食べられなかったとのこと。

大役を無事務められた尼子さん、Mさんとしゃべっていると山崎先生がご挨拶に来てくださった。私の着物に目を留めて「とても綺麗です」と言ってくださる。ああ、もう死んでもいいかも。あやうく勘違いしそうになるが、綺麗なのはあくまでもき・も・の。わかってますから大丈夫です。

竹丸さんの南京玉すだれ、淡路先生、谷川先生の祝辞、一門の紹介・片上五段、大石三段による代表挨拶、主賓のお礼の言葉・・・と例年以上に盛りだくさんで、それぞれの想いを感じるメッセージがとっても良い。

ずっとテーブルを回られていた山崎先生が席にもどってきたので、尼子さんとお祝いをお渡しがてら写真を撮らせていただいていると、席上対局の時間に。すみません・・・お食事する時間を奪ってしまいました。

稲葉四段との席上対局は、解説の井上八段「なんか10級の子どもがやるような囲いですな」から見事に手をつくり勝利されました。

次は糸谷四段VS澤田三段の解説。指し手が早く稲葉四段、大盤の駒を動かすのに大童です!いっしょに楽しそうに解説されていました。

続いて抽選会。注目の山崎七段アルバムは抽選対象が女性・子ども限定になりました。
私はくじ運悪い方なので、最初からどうせ・・・とあきらめています。でも幸いMさんのお子さんにあたり、嬉しいことに「HPに載せたら」と貸してくださいました。今日明日中にはなんらかの形でご紹介します!

終了後、2次会3次会とお邪魔しました。なかなか自分から言えない管理人に代わって、尼子さんが口火を切ってくださり山崎先生にプッシュプッシュ! 
尼「ブログ、もうやらないんですか?」
山「あんまり更新しないんで、もう止めよう、ってことで・・」
尼「じゃ、HPに何か」
山「いやあ不定期じゃ悪いし」
私「一年に一回でもいいです。ファックスしてくだされば打ちます!」
山「じゃあ、何か」
という訳で、お約束が出来ました。
まあ、気長にお待ち下さい。

山崎先生は翌日の予定のため2次会で帰られました。

当人のいない3次会で師匠が、あの師匠がですよ、山崎先生を褒めます褒めます!
前は「あれの何処がいいんだ?」「なんで応援するのかわからない」「山崎くんはいいから○○や○○をよろしく」って感じだったんですが。

とっても嬉しかった。夫をあまり買っていなかった父が、ぽつりと「あの人は頭がいいなあ・・・」って呟いたとき以上に嬉しかったです。

そんなこんなで出したお金よりもお釣りが多かった気分で帰ってまいりました。

また来年もお祝いできますように。応援頑張ります。

一門祝賀会2008 前編

祝賀会当日。午前、前から行きたかった神戸の長田スター街道に出かける。

阪神大震災で壊滅的な被害を受けた商店街と人々を励ますためにたくさんの著名人がこんな風に手形とサインを送っている。

自身も被災した山崎先生が贈られた言葉は「あきらめない」。ぐぐぐっと噛み締めた。



大阪に戻り、ホテル阪神のエレベーターに乗ったら師匠の森先生にバッタリ。花束と一言を頼まれる。花束は去年もお渡ししているので遠慮しようかと思っていたが、忙しそうな師匠を見ているとサクッと引き受けた方が手間が省けそうで、「いいんですかあ」とお受けしてしまう。

泊まっている部屋で顔のメンテナンスをしているうちに記念指導対局の受付時間が過ぎた。階下へ下りていくと応援HPの常連?相方?のドクター尼子さんもちょうど着いたところだった。昨年の広島以来だがが、ネット上でしょっちゅう会っているので感覚的には1週間ぶりくらいの感じ。

指導対局は奨励会員の先生ならすぐ受けられます、とのことなのでくじを引かずにまず一局。ぼーっとしていたら王手飛車をくらい、いいところなく退散。

しおしおと部屋に戻り着物の用意をする。まず髪にムースを大量に付けて夜会巻き。着物はリサイクル着物なのだが最初の持ち主はそうとう大柄だったようで、幅が余る。下前を折り返さないと合わないのだが、今回は珍しく一発で決まった。指導対局の反省の気持ちを込めてひもをぎゅぎゅっと締める。帯は最初ゆるく巻いてしまってやり直し。次はお太鼓が大きすぎてやり直し。

なんとか1時間で着替えが終わり、懲りずに指導対局を受けに行く。
私の繰り出す冴えない手にボソリと呟く稲葉四段。「・・・イマイチ」
最終盤、ああ、わかんないわかんない。両手を使わないと足し算が出来ない小学生が、7足す8でめちゃくちゃ悩んでいるような按配である。「これはダメだろうなあ」と思いながら指した一手・・・稲葉四段の顔に「くわあ、そこでそう指すかー」と書いてある。そんなこんなで、なんとか勝たせてあげようという思いやりに溢れた指導対局は終わった。
稲葉四段の揮毫「斟酌」わたしは一発で読めました。うんうん、いい言葉だ。

おしゃべりをしているうちに開場時間。今年の出席はどのくらいなんだろう。抽選会の倍率に関わるので重要な問題である。テーブルの数を数えて、おお、昨年よりは可能性あるかも、おや、あのテーブルの上にあるのは抽選プレゼントの品じゃないか、どれどれと盛り上がっているうちに開宴時間となった。
(後編に続く)

2008年3月15日土曜日

祝杯をあげてまいりました

「個人の方のお宅で山崎先生&阿久津先生の指導対局と自戦解説、お食事会付き」という「そそそそそんなのアリですか?」というゴージャスな会に参加してまいりました。
両先生とも順位戦昇級で、おめでとうの乾杯が出来ました。

山崎先生の順位戦最終局自戦解説。
当日のドキドキが甦りました。

夕休後、ノータイムで指していたのは、やはりお家芸の(とは山崎先生はおっしゃってませんでしたが)時間攻め。
「123手目中村九段の15飛車で形勢がよくなったので、香打ちから時間を使いました。詰め将棋あまり解いてなかったんですが、この1ヶ月間はやってて、それが良かったかもしれません。将棋で勝ったというよりも勝負術で勝ったという感じでした。東京で検討していた棋士が『屋敷くんと山崎くんは上がったらいけないよ。来期もB2で指せ!』って言ったそうで・・・。直接聞いてたらショックだったでしょうね。」
15飛車ではなく33銀だったら・・・というあたりを詳しく解説してくださいました。
それにしてもホントに良かったですね。

お食事会・・・ぽわ~~~ん♪としていて、聞いた言葉の半分も覚えていませんが、寝る前にメモメモφ(..)カキカキ

戦型について。
矢倉は実力差が出やすいから・・・。最初のころは矢倉よく指していたんですが、勝率が上がらなくて(でも6割はありました)、角換わりを指すようになりました。先手番なら相掛かり、後手番なら一手損角交換が多いです。

王位戦リーグ木村八段戦のこと。
「これを負けるか・・・」と思って盤面を崩しちゃったんだけど、でも「そういうときこそ『いや~上手く指されましたねえ』と和やかに感想戦をしなければ」という鈴木八段の言葉を思い出して、また並べなおして感想戦したんです。

王位戦リーグ最終局阿久津六段戦に向けて。
2人とも消化試合だとつまらないんで、どっちかはリーグ優勝にからんでるようにしたいですね。

竜王戦。
来期は2組がタイヘンなことになりそうなので、なんとか1組に上がりたいです。

来期NHK杯。
対局相手はA級以外のシード棋士です。

体調の悪いときの対局。
だいたいいつも体調悪いんですけど、健康診断も毎回引っかかるし。でも熱が39度あるとか具合がかなり悪いときの方が負けることは少ないです。体調がいいとパッと指しちゃうけど、悪いときはそうならないから・・・。

時間切れの話。
○○先生が切れてるのは僕も何回か見たことがあります。
あと関西の棋士室でモニター見てたら××先生と△△くんの対局で、××先生が大悪手指したことがあったんです。棋士室でめちゃくちゃもりあがってたら、にゅ~って手が伸びてきて・・・。何年か前まではそんなにうるさくなかったんで、そのままでした。

控え室の検討陣に関する話も出ましたが、これは書かないほうが良さそうです。

阿久津先生も快活で楽しく、好感度大!

とても楽しい時間を過ごさせていただきました。

企画&スポンサーのSさま、声をかけてくださったAさまに厚く厚く御礼申し上げます。

2008年3月10日月曜日

B級1組に昇級! 喜びの声



昇級おめでとうファックスをお送りしたところ、かたじけなくもお返事を頂きました。
管理人個人というよりも、応援している人全てに向けられたメッセージかと思いますので、こっそり?貼っておきます。

2008年1月7日月曜日

年賀状いただきました

山崎先生からの年賀状、昨年はグチっぽくてご紹介できる内容ではありませんでしたが(笑)、
今年は大丈夫~♪

「少しでも活躍して良い話題をつくれればいいなと思います」とのことでした。

・・・期待しております・・・